国の研究機関から母校へUターン
仲間と共に地方から成功事例を生み出していきたい

三重大学大学院医学系研究科
公衆衛生・産業医学
教授 神谷 元

三重大学医学部卒業。東京・聖路加国際病院小児科で研修医を務め、感染症対策の道へ歩みを進めるためアメリカのサンディエゴ郡の保健所予防接種課で研修・勤務。アメリカの公衆衛生大学院で博士号を取得した後は米国疾病予防対策センター(CDC)で研修後に帰国。2014年から国立感染症研究所感染症疫学センターで主任研究官を務め、2024年にUターンし、現職。

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感染症で亡くなっていった子どもたちのことは一生忘れない

三重大学医学部を卒業後、東京・聖路加国際病院小児科で研修医となりました。免疫学の基礎研究を行いたいと思って医師を志し、卒業にあたり希望していた講座の教授に相談に行ったところ、まず患者さんを診る経験をしてからその人たちのために研究をするほうが良いという助言をいただき、その言葉に背中を押されるように臨床の道へ進みました。父が三重大学小児科に勤務していたこと、ずっと三重県にいたこともあり、一度外に出て勉強してみようと思い東京の病院での研修を決めました。研修先の病院では白血病や腫瘍の子どもたちの治療をたくさん経験しました。子どもたちが化学療法などの苦しく、長い闘病中に免疫力が弱っていき、治療した病気は改善しても、感染症で重症化したり、亡くなったりしていく場面を何度も目の当たりにし、感染症の予防についてもっと深く学びたいと思うようになりました。治療に真摯に取り組んでいるのに、思いがけず感染症で亡くなっていく小さな子どもたち。あの子たちを救ってあげられなかったのは本当に辛かったです。その時の気持ちはこれからもずっと忘れないと思います。

その気持ちを胸に、臨床を経験した後は予防を含めた感染症対策の道へ歩みを進めました。感染症対策や予防接種対応などの分野で先進的だったアメリカへ渡り、サンディエゴ郡の保健所予防接種課で研修・勤務しました。その保健所では日本で人が亡くなる原因となっている病気に対し、社会全体がワクチンを打って予防し、住民への啓発活動も盛んに行われていて、基礎疾患のある人も元気に過ごしていました。日本で言えば秋田県くらいの規模の地域でしたが、データを取って分析し、第三者的に評価して次年の対策に役立てるという疫学的なアプローチがなされていました。日本ではまだ注力している人が少ない分野だったので学びを深めるため、アメリカの公衆衛生大学院で博士号を取り、さらに米国疾病予防対策センター(CDC)で研修して帰国しました。帰国後は2014年から国立感染症研究所感染症疫学センターで疫学研究や感染症対策に従事して、2024年に三重大学へ戻りました。

今後も必ず起こるパンデミックに向けて、三重県でチームを構築したい

感染症研究所勤務時には新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行を経験しました。実はそれがきっかけとなってUターンを決意しました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行前、私は日本より感染症対策が進んだアメリカでの学びを元に、自分が頑張れば感染症対策の水準を上げられると思っていました。しかし、パンデミックが起こり、実際に対応してみると、一人では手に負えないことを実感しました。何が流行しているのかわからない状態でデータを取って対応していくわけですが、一人でやれることは限られています。だから、これからは自分が知っていること、経験したことを全て外へ伝えて、志を共にできる仲間と一緒に、地域で感染症対策のチームを作っていきたいと思ったんです。

今後もパンデミックは必ず起こります。どのような病気が流行するかはわかりません。今は世界中のアクセスが良くなり、ジャングルの中にまで道ができて、これまで触れ合わなかった動物にも人は触れ合っています。これまで自然界の中で完結していた病原体の活動域が、人間界にひろがり、何かしらの病気の流行を起こしていく可能性は否定できません。一旦病気が広がると、都市、田舎関係なく病原体は拡散、伝播していきます。中央での対応も必要ではありますが、地域に密着して最前線で地域住民の健康を守ることも重要だ、と今回のパンデミック対応の経験を通じて痛感しました。地域で正しいことを実践していくこと、そしてその範囲を広げていくことが正しい選択なのではないかと思ったんです。では、どの地域でそれをはじめるのか、と思案したときに、やはり地元・三重県に戻るのがベストだと考えました。気心知れた友人や先輩がたくさんいる三重県へ戻れば、一緒に立ち向かってくれる仲間がたくさんいることは、とても大事でしたし、心強くもありました。

三重県での活動が成功事例となり、全国に広げていくのが夢

三重県へ帰ってきてみると、先輩、同期、後輩と気心知れた人がたくさんいて、居心地がとても良いです。今はまだ帰ってきたばかりですから、これからやっていきたいことや具体的に見直したいことについて伝え始めている段階です。たくさんの人にお会いして、感染症対策を含めた公衆衛生領域で機運を盛り上げ、どんどん仲間を増やしていきたいと思います。感染症対策に心血を注ぐ人はたくさんいらっしゃると思いますが、バラバラに対応していると力尽きてしまうことも予想されますから。

私は単独で感染症に立ち向かうのではなく、感染症危機管理に関する協力体制を三重県内で構築し、一人ひとりの負担を少なく、パンデミックが長引いても対応を継続していけるチームを作り、育てていきたいです。三重県で頑張って成功事例を作り上げ、それが他の地域にも広がっていったら理想的です。

先進国である日本ですが、アメリカなどと比較すると感染症対策の部分ではまだまだ取り組まなければいけない部分がたくさんあると感じます。アメリカの保健所で目の当たりにしたワクチンを打つ、教育を常に行う、みんなで社会を守っていく、という考え方は日本も同様にできるはずなんです。できるはずなのにやっていない現状を何とかしたいという思いが私の原動力です。

三重県の穏やかさやちょっとした不便さが、自分を取り戻すきっかけになった

三重県の人たちは、穏やかで雰囲気が良く、コミュニケーションが取りやすい魅力を持っていると思います。街を歩いていると声をかけられることがありますし、私もレストランで自分から「おいしかったです」とわざわざ声をかけることもあります。東京ではあえて声に出さなかったことをしたくなる、目の前にいる人と話したくなる土地だと思います。自分の中で、25年間離れていた地元に戻ることは大きな決断でした。大丈夫かなという漠然とした不安がありましたが、先輩や後輩を含め、いろいろな人と気軽に話ができるので、帰ってきて良かったです。

三重県には海も山もあり、自然が豊かです。それだけでホッとします。ちょっと街が暗いなと思うけれど、暗さがあるから星が見えます。虫もいるけれど、それで自分が自然の中で生きているんだなと実感します。学生時代は買い物が不便だなと思っていましたが、インターネットが発達して遠隔で手に入る時代になり、気にならなくなりました。コンビニまで車で行かなければならない、24時間営業ではないコンビニもあるなど都心と比べれば不便に感じるところもありますが、何でも手に入ると自分も努力しなくなるので、ちょうどいいのではないかと思っています。私は仕事柄出張がとても多いですが、交通の便でも三重県が不便とは感じていません。東京にいた時は飛行機での出張が多かったですが、三重県からの移動は新幹線が便利です。日本の中心あたりに位置しているので、たぶんどこに行くにもそれほど距離がないからなのかな、と納得しています。

これからUターン、Iターンを考えている人は、考えるほどにいろいろ不安が出てきてしまうと思います。三重県はそんなに不便なところではないので、思い切って移動してみて、空の星を見て、時間を満喫しながら考えるのはどうでしょうか。今の場所から飛び出していろいろなところに行って、自分で経験しながら探すと答えが出るかもしれません。私のところに遊びに来てくださるのも歓迎です。医師として人々の健康を守るという目的に向かって自分を見つめ、臨床分野でも公衆衛生でも、これだというものを見つけてください。

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